歴史

出典: Uyopedia

れきし

目次

表記と語源

漢字の表記

「歴」の字は、昔は「」と同じであり何ら区別されてなかった。すなわち「歴史」などの言葉は「暦史」とも書かれた。現在の写本では、厳格に区別されているように感じられるが、これは後世気を利かせたつもりで写生員が自分の時代での使い分けを反映したからである。
「暦」も「歴」も規則正しく並べていく意味、また時間が経過する意味。転じて「こよみ」の意味もあり。古代において「歴史」=「暦史」であり両者が区別されていなかったということから、歴史が本質的に「暦」的なものであると認識されていたことが想像できる。後世「紀伝体」の正史が作られるようになってもその主軸は「本紀」であり、「本紀」は帝王の伝記と合体した治世年表である。年表は過去のカレンダー(暦)ともいえる。
「史」は神官。「祝」も神官。「史」は神具・呪具の類を捧げもつ者、「祝」は呪文または祈祷文を唱える者。日本でいえば「史」は忌部、「祝」は中臣に当たる。古くは「史祝」で神官の類を漠然と総称する言葉。逆に「祝史」といえば神官と記録係の意味になる(「祝史」はやや新しい言葉)。支那の場合「史」は天文学や暦、記録をも担当するようになったため、「史」が記録文章そのもの(または書記官)を意味するようになった。祝にしろ史にしろ、民間在野の存在ではなく天子に使える官僚でもあるゆえに、支那においては歴史なるものは必然的に「君主・皇帝の正統性を擁護するための論理」として発達した。

洋語の検討

英語の"history"の語源は古典ギリシア語で「探求して知り得たこと」を意味する"historia"(複:Historiai)に由来する。ヘロドトスペルシアギリシアスキタイの三者の相克を記述してこれを"historia"と称したが、この言葉は「調べる」を意味する「ヒストレイン」と、「知る」を意味する「ヒストール」を組み合わせたもので、ヘロドトスの造語である。これは事実資料とそれを自ら調べ知ることによって事態の推移する客観的理路を探求するものであった。ヘロドトスにとって歴史とは、誰かに与えられた耳障りの良い面白おかしい物語ではない。それは夢想に過ぎない。

しかしヘロドトスの到達したこの「歴史意識」もしくは彼が創造した「歴史学(歴史文化)」はヘレニズム時代を通じてなかなか理解されず、単なる博物学や昔物語(文学)のように扱われた。これはギリシア哲学が本質的に不変の真理に価値を置き、変転するものに価値を見出す習性に乏しかったことによる。中世ヨーロッパにおいては現在の事件や未来は神の手にあるもので人為を超越しているとされたため、ヘロドトスへの理解はさらに阻害された。ルネサンス以降、ようやく歴史学が芽生えてくるが、当初のヨーロッパ人の歴史観はヘロドトスを浅読みした西(自由なるギリシア)と東(専制のペルシア)の対決構造と『ヨハネ黙示録』的な未来における神と悪魔の対決構造を重ねあわせたもので、そのためヨーロッパにおいては歴史とは「正義の勢力と悪の勢力の対決構造」として発達した。

英語の"story"(物語)がヒストリーからの派生語であるのと同様、西の各国語においても歴史を意味する語は「歴史」「物語」両方の意味を兼ねる。

ただし米国英語においては、例えば、カップルが自らのなれ初めを紹介する際にも「私達の"history"は云々」と気楽に"history"を使う傾向がある。米語における"history"は、歴史とは無縁の、ほぼ通常の意味での単なる「物語」(または身近な人物や身近な物件などの「来歴」)の意味であり、物語や来歴と厳密に区別される「歴史」という観念はそもそもアメリカ人はもっていないし理解もできていない。

無文字社会の歴史(原初の歴史)

  • 「伝承」がなされることの社会的意味
  • 」の系譜
  • 循環的時間感覚(非歴史性と神話の同化力)

歴史文化をもつ文明/歴史文化をもたない文明

文明の諸要素のうち、下の三項目は相互に関係がない。

  • 文字の有無(実際に記録があるか否か。一般に「歴史書」に分類されている古典の多くは現代人の誤解であることが多い)
  • の有無(天文学の発達度合い。時間の観念が構造化されているか否か)
  • 歴史の有無(狭義の「歴史学」という特異な文化をもっているか否か。ここでいう歴史学とは、神話とは別のものとして伝承される過去と、それについての考察の体系をいう。ヘロドトスや司馬遷が代表的)

よってこの三項目から八通りの文明のタイプが存在することになる。

原始人の時間

初期アーリア人の時間

ヒンズー教の時間

ヘレニズムの時間

ユダヤ教(『旧約聖書』)の時間

中国(『史記』以降)の歴史観

日本人の歴史観

古神道の歴史観

歴史観の誕生

歴史は自然存在ではなく、極めて人為的な特定の文化にすぎない

  • 異種歴史観の集大成としての日本「國史


歴史記録歴史観歴史文化歴史学

神話の歴史化と歴史の神話化

神話の歴史化は、現代古代史論争における、ひじょうにややこしく面倒極まりない問題。
文明化して様々な思想哲学を発展させた古代人は、荒唐無稽な神話を合理化するために様々な解釈を試みた。当時はいまだ神話には強固な権威があったため、そうすることが神々の権威を擁護することになる、と当時の人は考えたのである。その結果、八つの目をもった神とは八人の査察官を派遣した意味だ、というような比喩的な解釈を乱用して、神々の物語をすべて実際の人間社会の歴史に置き替えようとした。その発想で書かれた後世の書などを根拠として中世以降に間違った神話観が流通するケースもある。支那における『書経』などの解釈は有名であるが、これと逆にイランの『シャーナーメ』などはイスラム教に抵触しないように神々を古代の人間として意図的に置き換えている例である。また日本においては岐美二神大八洲を生んだという神話を、八人の国守を派遣したと解釈したり、天の岩戸の神話を日食の時に女帝が崩御したのだと解釈したり、八岐の大蛇退治を八つの大河の治水と解釈したり、九州への天孫降臨をどこかから九州へ遷都したのだと解釈したりする例である。また竹内文献、富士宮下文書などは、神話の神々を完全に人間の天皇と設定している。これらはすべて誤りである。邪馬台国論争における九州説論者には「神話の歴史化」の傾向がみられる。
歴史の神話化は、神話の歴史化ほどではないが、やはり面倒な問題。
これは歴史事実の伝承の主体たる古代人が、後世の人間のような歴史という観念をもたないがゆえに、恒常的に神話の同化力に無防備にさらされていることによる。釈迦の伝記はゾロアスターの伝記に似て、キリストの伝記は釈迦の伝記とゾロアスターの伝記の他、太陽復活神話にも似てくる。しかしイエスキリストの事績(宗教的意味や奇跡の有無は個別の議論として)の多くは、積極的に否定すべき根拠はない。同じことは神武天皇東征アレキサンダー大王の東征譚の変形であるという説、神功皇后の伝承は母子神信仰の反映で史実ではないという説にもいえる。これらは瑣末な根拠から全体を割り切ろうとする乱暴な議論で歴史状況への配慮がない。天武天皇の東征がモデルとなって神武天皇説話が作られたのだという説、神功皇后の伝承は斉明女帝新羅征伐をモデルとして捏造された話だという説、などはほとんどこじつけで大枠についても瑣末な部分についても議論や検討の抜け落ちたもので、これならナポレオンのモスクワ遠征はヒトラーをモデルに捏造された、という理屈も通りかねないシロモノである。
神話の歴史化は本当はなかった史実を幻想して歴史に織り込もうとするし、歴史の神話化は実際にあった話を架空譚として抹殺しようとする。

歴史学

現在の歴史学は「歴史の学」ではない

関連項目

歴史教科書プロジェクト

古代中代近代

原始太古上古中古近古

上世中世近世現代現在新代

雑記メモ

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